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ベトナム戦争の記憶 クチ

こんにちは!更新を二日分サボっちゃいましたけど、これには深い理由があります。ただホテルに帰るのが遅かっただけやけど笑

先に言っておくと、16日はあまりにも色んなことが起こりすぎて、確実に全て書ききることはできないです。なのでザーッとこの日のことを要約しながら書いていきます。

まず僕が訪れたのがベトナム戦争証跡博物館。ここにはベトナム戦争で使われた武器、ジャーナリストの写真、ベトナム戦争の経緯を簡単に説明する展示などがあります。ベトナム戦争について知りたいなら、ここに来れば全部理解できる!

先にベトナム戦争についてちょっとだけ説明しておきます。フランス領だったベトナム第二次世界大戦中に日本軍が占領します。日本軍が降伏した後はホーチミンって人が独立をめざしたんやけど、フランスが介入して、ベトナム南部に傀儡政権を作ります。この時に起こった戦争が第一次インドシナ戦争

この戦争でフランスが敗北して、ベトナムがついに独立すると思いきや、、、ジュネーブ協定により北緯17度線を境にベトナムは分断されます。南ベトナムにはアメリカの傀儡政権であるベトナム共和国が誕生。それに対抗して北ベトナムでは南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が組織されます。時のアメリカ大統領、ジョン.F.ケネデイはドミノ理論ベトナム共産主義化すると、その影響で他の東南アジア諸国まで共産主義化してしまうという理論)を掲げて南ベトナムを支援することに。その後、トンキン湾事件を機にアメリカは本格的に軍事介入を始めていきます。こうして始まったのがベトナム戦争です。この戦争はアメリカが敗北した唯一の戦争で、その後のアメリカ衰退の最大の原因となります。

まだまだベトナム戦争については説明が足らんやろうけど後は自分で調べてください笑

というわけで博物館の話に移っていきます。

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博物館の入り口にはアメリカ軍が使用した爆撃機、戦車などが展示されてました。

博物館内には、多くのジャーナリストによって撮影された写真も展示されてます。

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一番上の写真はあまりにも有名な沢田教一さんの写真。これ以外にも、このブログには載せられないような写真はたくさんありました。アメリカの国益のために行われた戦争。戦争はいつだって戦場で戦っている当事者の意志とは関係なしに、国家がただ国益のために始めるもの。ベトナム兵は自分たちの意志で戦場に赴いたかもしれんけど、とにかくこの戦争が両軍の兵士に深い傷を負わせたのが分かります。

アメリカ軍は、解放軍のゲリラ攻撃に対抗するために焦土作戦枯葉剤を駆使していきました。特にひどいのは枯葉剤。三枚目の写真は枯葉剤によって枯死したマングローブ林です。ここに立っている男の子は枯葉剤の影響で脳神経がおかしくなり、この後長くは生きられなかったそうです。枯葉剤の影響で生まれてくる

奇形児の写真はかなり精神的にくるものがありました。体がつながって生まれてきたベトちゃんとドクちゃんが有名ですけど、博物館内にはその何倍も悲惨な写真があります。不謹慎な言葉かもしれないけど、あえてその時感じた率直な感想を述べると、同じ人間とは思えないような人々の写真ばかりでした。

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最後に訪れた場所では、世界で巻き起こったベトナム戦争反戦運動の記録が残されていました。上の写真はフラワーチルドレンと呼ばれる、アメリカの若者たちが起こした反戦運動の写真。

そして驚いたのがその下の写真。この部屋は「特別展示室」という表記になっていて、何が展示されてるのかなーって思いながら入ったら、この部屋には日本で起こされた反戦運動の記録だけが展示されてました。実はこの部屋にくる前から、博物館内には日本と深くつながりの深いものが多かったのには気づいていました。ベトナム戦争のジャーナリストにも日本人はかなり多かったし、日本から寄贈されたベンチなどが置かれていたり。

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このような写真も多く飾られていました。ベトナム戦争からの復興に日本が大きく関わってたんだなー。明らかに日本は特別扱いされていて、ちょっとだけ日本人としてうれしくなりました。

小学校のころに修学旅行で原爆資料館に行ったけど、あれから6、7年経った今も感想はあんまり変わらんかもしれん。でもあの時ただ感じたような底知れない恐怖よりも悲しさのほうが強かったような気がする。こういう場所は決して楽しい場所ではないんやけど、それでもやっぱり一回は訪れてみんといかん気がする。

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その後に訪れたのがクチ。ここには解放軍が利用したクチ地下トンネルの中に入れたり、どのようにしてゲリラ攻撃を行なっていたのかが分かります。この写真は実際のサイズのトンネルの入り口。自分も入ってみたんやけど信じられんくらい狭かった。雨が降っていたのもあって湿気と暑さと暗さが酷い。こんなところで戦争していたのか思うとすごい。

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これは解放軍によるトラップです。落ちたら確実に串刺し。こういうの見てるとベトナムがアメリカに勝利した理由が分かる気がする。

あとは戦車に乗ってみたりすることもできました。実際行われた戦争がどういうものやったのかを知れるのがクチ。射撃場もあって、クチに着いた時から銃声が鳴り響きよったんやけど、自分たちは雨が強くなったせいで射撃できませんでした。

ちょっと短いけどクチはこんな感じ。以上2つの場所からベトナム戦争の記憶をたどって行った1日でした。

その後は同じドミトリーで一緒にクチに行った韓国人の大学生と前日出会った女の子とご飯を食べに行きました。奇跡が起こったのはその後ホテルに戻ってから。まさかの同じ部屋にルアンパバーンの象使いツアーで出会った高橋さんに再開しました!高橋さんは脱サラして世界一周中らしく、ルアンパバーンから南下してカンボジアに行き、ベトナムを北上すると言っていたので、どこかですれ違うやろうねーって2人で話しよったがやけどまさかこんなところで再開するとは!さらにもう1人、同期の男子にも出会いました。自分が高知県出身やって言ったら、シェムリアップ高知県民に会ったって言ってて、話を聞いてみると自転車でプノンペンを目指してるらしい。この時ほんとにビックリしたんやけど、この人僕の知り合いです笑 同じ塾の先輩でした。卓球部さん、またの名をボラギだけさんというんですけど、東南アジアを自転車で旅するという話だけは知ってた。でもまさかこんな形で噂を耳にするとは。次の日また奇跡が起こります。いろんな出会いに感動する1日でした。

それではまた!チャオ!