"It's NOT a small world!!" 18からのバックパッカー

18からのバックパッカー 海外旅行紀

カンボジア内戦による負の遺産 キリング・フィールド

こんばんは!昨日はホーチミンを出発して国際バスで約7時間ほど、カンボジアの首都、プノンペンに到着しました。

カンボジアは確かに「貧しい国」っていう印象が強いけど、プノンペンはかなり発展した都会やった。それでもタイ、ベトナムに比べれば貧しい国やなーってのは感じたし、治安も他国よりは悪いらしい。カンボジアではビザ発給にかかる値段やアンコールワットの入場料が値上がりしていて、もしかしたらそれも国の収入を上げるためなんやろうかなーって思った。アンコールワットとか東南アジアの国じゃありえんくらい入場料高いもん。

この日のスケジュールはわりとハードで、14時くらいに到着したらすぐにキリング・フィールドとトゥールスレン虐殺博物館に行く予定やった。ちなみにこの2つもかなり入場料高いです。

この日の話に移る前にカンボジア内戦について軽くまとめておきます。カンボジア内戦も元はといえば、ベトナム戦争と同じように冷戦に巻き込まれて、アメリカの介入によって起こった戦争でした。カンボジアは第二次世界対戦後にフランスから王国として独立してたんやけど、アメリカの支援するロン・ノル政権によってシハヌーク王が追放されます。それに対立して反米共産勢力のポル・ポトが率いるクメール・ルージュシハヌークの旧政府軍による三つ巴の内戦に発展していきます。

アメリカ国内のいざこざから、最終的にロン・ノル政権は追放されて、ポル・ポト政権が国を治めるようになります。

ポル・ポトはあまりにも捻じ曲がった理想を抱いていて、簡単に言えば、国民全員に農業をさせ、通貨を廃止させるなどして、原始共産制を目指すというようなものです。世界史上、自国民を最も多く殺した人間を3人挙げよ、と言われたらスターリン毛沢東ポル・ポトの3人の共産主義者が挙がるらしいですけど、その中で言ってもポル・ポトはあまりにも異常。言い方は悪いけど、ポル・ポトのしたことを考えればヒトラーが可愛らしく感じられます。

カンボジア人(クメール人)は「クメールの微笑」っていう言葉があるくらい温厚で控えめな性格の国民性なんですけど、ポル・ポト政権下では約300万人の国民、当時の人口の約3分の1ほどが殺されたそうです。ポル・ポト原始共産制に必要のない人間はほとんど無差別に殺されました。知識人は反乱を起こす可能性があるという理由で殺されます。中には眼鏡をかけている、腕時計をしているという理由だけで知識人とみなされて殺された人もいたそうです。それどころにとどまらず、ただ顔立ちが良いという理由だけで殺された人もいるぐらいだからその異常さは底知れないです。クメール・ルージュの兵士は全員14歳以下の子供で、ポル・ポトに洗脳されていました。ポル・ポトから解放された時、なんと人口の85%は14歳以下だったそうです。

さらに恐ろしいのが、このような虐殺が行われていることに世界が気づかなかったという点です。カンボジアのジャーナリストたちはもちろん殺されて、ポル・ポトによって徹底的に情報統制されたからでした。さらに亡命した人たちの証言を誰も信用しなかったといこともあります。

最終的にはベトナムの侵攻により、ポル・ポトの建国した民主カンプチアは崩壊するのですが、これによって中越戦争が起こったりして東南アジアはめちゃくちゃになります。その後シハヌーク王が復位して、国連保護のもと新たなスタートを切っていきました。

かなり長くなりましたけど、ここから実際に訪れたキリング・フィールドの話に移っていきます。プノンペン中心部からトゥクトゥクで1時間ほど、キリング・フィールドに到着しました。道中ではやはりスラム街も多く、生活水準が低そうな家もたくさん見受けられました。今まで4つの国を訪れたけど、田舎の方よりも中心部から少し離れた地域の方がよっぽど貧しそうな暮らしをしているというのはどこの国も同じ。ゴミが多いからそう見えるだけかもしれんけど。

キリング・フィールドでは、中に入るときに日本語ガイドが聞けるオーディオを無料でもらえて、このガイドを聞きながら内部を巡ることができます。中は、昔ここで処刑が繰り広げられたとは考えられないくらいのどかで静かな場所でした。中にいる誰もが真剣な面持ちでガイドを聞きながら歩いていて、誰も言葉を発する人はいませんでした。

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中に入ってまず目に入るのが慰霊塔。この中にはおびただしい数の頭蓋骨が安置されています。写真に写っているのはほんの一握りです。中には陥没した頭蓋骨も多く、どういった殺され方をしたのか想像がつきました。 f:id:laugh-maker645:20170919031809j:plain 中ではいくつもの穴が見受けられますが、これは全部墓地だそうです。中には人骨や衣服が残っている墓地もありました。 処刑は銃弾を買うお金がないという理由から、ハンマーやクワ、ナタなどが使われたそうです。 f:id:laugh-maker645:20170919032117j:plain これは砂糖ヤシの木で、この木の皮はとても鋭利で、本来鶏の首を切るのに使用されていたようなのですが、この時には人の首を切るために使われました。 f:id:laugh-maker645:20170919032337j:plain 一番キツかったのがこのキリング・ツリーのガイドを聞いた時。この木が見つかった時、なぜかこの木は血まみれだったそうです。なんとこの木は赤ん坊を殺すために使用された木で、この木に赤ん坊の頭を殴りつけて殺したそうです。それも母親の目の前で。この木は発見当時、おびただしいほどの髪の毛や脳みそが付着していたそうです。 キリング・フィールドを一周した後は、トゥールスレン虐殺博物館を訪れました。トゥクトゥクの運転手さんもよく見れば50、60代くらいの人で、この人も生き残った3分の2なのだと考えるとつらかった。 この博物館は昔使われた収容所で、無機質な監獄が並んでいました。 排泄も監獄の小さな部屋の中でさせられたらしい。写真撮影は禁止だったので写真はなしです。ここには他にも収容されていた人の写真、拷問の様子の絵、実際に使われた拷問器具などが展示されていて、正直、早くここから出たいという気持ちでいっぱいになりました。 以上がこの日見たカンボジア負の遺産ベトナム戦争とは違って、明らかな残虐性を持った虐殺を知り、同じ人間にここまでのことができるのかという、人間に対する底知れない恐怖を抱きました。でもやっぱりこの事実を知らないまま生きていくよりも、少しだけでも知れて良かったのかもしれないです。 ここからはバサっと切り替えて明るい話題に移ります!この日はどうしても報告したいことがあります!昨日の記事で書いた、同じ塾の先輩、卓球さんですが、なんとブログを確認したところプノンペンに到着しているそうでした。急いで連絡を取ってみると夕食に誘ってくれました。塾の先生である上田先生にこのことを言ったら、「イッツァスモールワールドやね笑」って言われました笑 確かに笑 でもバックパッカーの中では、ある都市で出会った人にまた別の都市で会うようなことはよくあることだそうです。思い返せば、バンコクで泊まったロングラックゲストハウスでもエクアドルで出会って7年ぶりにバンコクで再開した人たちもいました。昨日といいその前日といい、世界って意外と狭いかもって思えるようなことをいくつも経験してしまった笑 というわけでこの日は卓球部さんに夕食をおごっていただきました!今までほとんど話したことはなくて、自分の兄と仲が良いってことが最大の共通点やったんですけど、この時はいろんな話で盛り上がりました。ほんとに楽しかった!卓球部さんは自転車でバンコクからホーチミンを旅をしている、自分からしたら信じられない方です。 http://www.takeuchi.site/ こちらが卓球部さんのブログなんで良かったらぜひご覧ください!ホーチミンまであと少し、ラストスパートらしいです。がんばれ! といことで次はついに旅の最終目的地、シェムリアップです。気づけばもう帰国まで1週間切ってます。ではまた!チャオ!